初めまして
幸せ脳をつくるホリスティックカウンセラーの
青空ゆりえです。
人間関係、夫婦関係、モラハラ、嫁姑、子育てなどでのお悩みによるストレス、うつ状態や、HSP気質で物事を敏感に感じ取ってしまい辛い方向けのカウンセリングを行なっています。
心=脳
と捉えており、心の傷は脳へのダメージとも言えます。また、ストレスは心だけでなく体にも影響します。
このカウンセリングを受けることによって、
ストレスを感じづらくなり、心も体も軽くなり幸せを感じやすくなる
「幸せ脳」を作ります。
そして、一人でも多くの方が幸せを感じ毎日を過ごせるようなカウンセリングを提供できるよう日々精進しております。
<青空ゆりえの小さいプロフィール>
私の生い立ちは、4人兄弟の長子として生まれ、厳しい家庭で育ちました。
幼少の頃からHSP気質で,相手の感情を敏感に感じ取り左右されてしまう傾向にあり、子供時代は親の望むようにいようと親の顔色ばかり見て、子供らしく無邪気に振る舞うことができませんでした。
親からはほとんど褒められたことがなく幼少の頃から自己肯定感は低く、人間関係では相手の考えを先読みして合わせてしまう典型的な他人軸でした。
成長と共に、気を使いすぎて自分を出せない時や、悪口を言われてるのではないかと人の感情が気になったり怖いと感じたりすることも多々ありました。
そんな状態なので
常に「生きるのって大変」と感じて生きてきました。
24歳でモラハラ気質の男性と結婚し、今度は夫の顔色見て過ごす日々が始まります。
モラハラ気質なので相手が自分の思い通りにならないとキレるため、私は夫に全て合わせて生活していました。
そのうちに自分という存在はどこにあるのか、私はいてもいなくてもいいような透明人間のような存在なのか?と思うように・・・
それでも本当の自分でいられない自分に嫌気が差しながらも何処かで
自分の存在価値を見出そうと生きていました。
そんな中、4人の子宝に恵まれました。
子供に恵まれたことは本当に嬉しいことなのに、夫との関係が悪く、その幸せを感じられず笑顔のない日々を送りました。
子供たちには夫と喧嘩するたび泣き顔や、怒った顔を見せてしまい、
気がつくと怒るばかりの子育てをしていました。
それだけではなく夫に抑圧されるストレスから、子供に対して感情的になってしまうこともあり、苛立ちと自己嫌悪の繰り返しでした。
「自分をわかってくれる人がいない。」といった孤独感や、
どうにか喧嘩をなくし笑顔でいたいと思う反面、
寂しい、不安、孤独、恐怖、怒りといった感情がグルグルと巡る悪循環から抜け出せずにいました。
そんな中、家の中で転落事故に遭ったのです。
初めて「死」を覚悟た瞬間でした。しかし、この出来事が転機となり、生きてる意義や使命を見出すきっかけとなるのです。
しかし夫婦関係はうまくいかずストレスにより頭痛や動悸といった症状により体調を崩し、このままでは自分はいずれ倒れるのではないかといった不安を感じるようになりました。
また、相手の顔色ばかり見て過ごす結婚生活にも疑問を持つようになり、
離婚を決意。
転落事故がきっかけとなり「人の役に立つように生きていこう」と決意し、病院で働きながら、介護の資格や、看護師の資格を取得。
いろいろな方と関わる中で、心と体は密接に関連していると感じ、
なぜ人は病気になるのかと考えるようになりました。
自分の経験も踏まえその方の背景から強いストレスが原因の場合もあるのではないかと感じることが多くあり、だとすれば、少しでもストレスを軽減できるよう、心を癒し、心と体の両面からのアプローチが大切なのではないかと考えるようになりました。
誰かの役に立ちたいと思う一方で自分自身は、長年培った思考の癖により生きること全てに対し苦しいと感じていました。
そんなある日、
インターネットを見ているとあるセルフセラピーが目に止まります。
そこには、「人生とは辛いもの」「仕事は大変で当たり前」や、幼少の頃から培った「思考の癖」や「親の価値観」といった狭い視野の中で『こうでなければならない』と決めつけてしまうのは、自分の行動の足かせとなる『ネガティブな思い込み』であると語られていました。
『自分を変えたい』
と本気で思った私は、そのセラピーを受けます。
ここから私の心の勉強が始まりました。
セラピーやイメージワークを受けたおかげで、心に背負っていた重荷を下ろし心が楽になることができたのです。
この経験を通し、苦しんでいる方の心に寄り添い、少しでも早くその苦しみから抜けられるようサポートさせていただきたいと思いカウンセラーを目指すようになりました。
一人でも多くの方の心も体も健康に導くようなカウンセリングを目指し、
現在看護師兼カウンセラーとして活動しています。
青空ゆりえ
東京都在住
41歳で離婚し、男の子3人、女の子1人の子を持つシングルマザー
現役看護師・NPO法人日本ホリスティック医学協会専門会員
<青空ゆりえの詳しいプロフィール>
「私はダメな子」と自分にレッテルを貼った幼少期
私は4人兄弟の長女として生まれました。まだ甘えたい時期に年子の弟が生まれ、自然と甘えられない状況を理解し、幼少期を過ごしました。
母はイライラしていることが多く笑っていることがあまりありませんでした。
世間の常識や礼儀に厳しく、他人に何か言われるようなことがあってはいけないと厳しく育てられ、叱られることはあっても褒められることはあまりありませんでした。
私は母に笑ってほしくて「いい子でいなくちゃ。」と思ってはいたのですが、できないこともあり幼稚園の行事の盆おどりで緊張して固まってしまい、全く踊れず怒らてしまうなんてこともありました。
そして怒られるたびに「私はダメな子」と自分にレッテルを貼っていました。
あの子のようになりたい
他の子を見ては「なんであの子はいつも明るく楽しそうにできるんだろう。いいな。」と羨ましく思い、大人しく内気な自分は良くないと思うようになりました。
我慢することがいいことだと育てられ、我慢することが当たり前のように育ちました。
なのでいつの間にか自分の言いたいことも我慢するようになり、どこか子供らしく無邪気にできず、いつも大人の反応を意識しながら遊んでいるような子供でした。
子供らしく無邪気にできる子をみては「あの子のようになりたい」と思っていました。
人の目が怖くて登校拒否した中学時代
中学時代には、周りの目や顔色、言動や相手の気持ちを敏感に感じ取り、先読みして相手に合わせる癖がありました。
そのため自分の考えや気持ちを素直に言うことができず、
いつも「他人軸」でした。
自己肯定感も低く自分に自信がないため、人前に立つことはなく目立たない存在でした。
また大人しくて文句も言わないため人からなめられやすい状態でした。
そんなある日、目つきの悪い同級生が自分を睨みつけているような感じがしたり、こちらを見ながらヒソヒソ内緒話をしているのが目についたりして、精神的に落ち込み学校に行くのが苦痛になりました。
母の負けるな!!の精神
布団に潜り込み登校拒否したこともありましたが、厳しい母は布団を剥がし「負けるな!」と一喝。
本当は私の悩む気持ちにもっと寄り添い共感してほしかったのですが、
幼少の頃から母の望むようにしていた私は、母に逆らうことができず渋々学校へ。人と必要以上に関わらないように目立たないようにすることで自分を守っていました。
中学時代の学校生活は辛いものとなり、いい思い出はありません。この時から、自分は人から好かれないと思い込むようになりました。
昭和の母の「根性だ!」の精神のおかげで辛い中学校生活をなんとか乗り越えることができました。
しかし、
根本的な私の自己肯定感の低さやマイナス思考、他人軸は何も変わらず、その後も人の目や感情に左右され苦しい日々を送ります。
モラハラ夫と結婚・・・私が変わればこの人も変わる
社会人になってからもその性質は続きました。
24歳でモラハラ気質の夫と結婚。結婚前からモラハラな気質があり、時には手を挙げられることもありました。
当時は「モラハラ」という言葉はまだ知らず、若さからか「私が悪いから夫が怒っている」と本気で思っていたのです。それどころか「私が変わればこの人も変わる」と信じて結婚を決意しました。
夫とは喧嘩が多くそのたびに人格を否定するような発言や暴力的な言葉や態度で「夫が怖い」と思うようになりました。
自分の気持ちを言わなければと、喧嘩しながらも必死に伝えようとしますが、自分の気持ちを相手にうまく伝えられず、火に油を注ぐ始末で、さらに「自分が悪い」と思い込む状態でした。
夫から「お前なんかいらない、出ていけ」
喧嘩になることを避けたくて自分の意見は言わないことが得策だと思い、結婚後は夫の顔色を見ながら生活する日々でした。
私は自分の気持ちや意見を夫に伝えているつもりなのですが喧嘩になると言われる言葉は
「俺に逆らうな。」
さらには「お前なんていらない、子供を置いて出ていけ。」と。
家族と一緒にいるはずなのに
「この家には自分を理解してくれる人がいない。居場所がない。」と孤独感を感じていました。
資格も稼ぎもなく、何も取り柄のない私は
「いつか本当に追い出されるかもしれない、子供を取られてしまうのではないか。」といった不安や恐怖に押しつぶされそうになっていまいた。
0か100でジャッジする完璧主義だった主婦時代
夫にに怒鳴られたくなくて、怒鳴られないためには
「私が完璧になればいい」と考えるようになり完璧主義になりました。
子育ても家事もずべて夫の手を借りずにやってやろうと意地になっていました。
自分を0か100かでジャッジするようになり、できていないところにだけ目を向け自分はダメだと思うことしかできませんでした。
しかし、完璧になんてできず、できてないところを見つけては怒鳴る夫。
「もう私は神様みたいに完璧になるしかない。」そんなことを思いましたが、神様になんてなれるはずがありません。
もともと低かった自己肯定感はさらに下がるように。
「夫のようになってほしくない」余裕のない子育て
4人の子供に恵まれたことは本当に幸せで、子供が私の生き甲斐で心の支えとなっていました。
しかし、夫との関係により精神的に余裕がないため、子育てを心から楽しむことができませんでした、
息子たちが夫のようになってほしくないと思う一心で厳しく育て、気がつけば自分が育てられたように厳しいだけの子育てとなっていました。
この時、私を厳しく育てた母の気持ちがやっとわかったのでした。
しかし、私の場合はそれだけではありません。
夫といざこざがあると子供に当たってしまう時もありました。
そのたびに自己嫌悪に陥り「自分はダメな人間、ダメな親」と悪循環から抜け出せずに結婚生活を続けていました。
子供たちへの愛をまっすぐに届けたかった
心から愛する子供たちに本当の意味で愛を注げていたのか?
今は後悔しかありません。
自分の自信なのさや孤独感から、少なくとも子供たちに依存したり執着してしまう気持ちもあったように思います。
子供の成長のこの時期は、この一瞬でしかなく、巻き戻してやり直すことは出来ません。
この時の子供たちはこのような状態の私に育てられ、どのような気持ちだったのだろうかと考えると申し訳なさと同時に今でも涙が止まらなくなります。
階段から転落し九死に一生を得る31歳〜人生の転機〜
31歳の頃、家の掃除中に階段から転落し頭部裂傷と肘の骨折という大怪我をしました。
階段の上段から下段まで宙を飛んでいる間、今までの自分を思い起こしながら「私はこれで死ぬのか、子供はどうなるの?」と一瞬の間に走馬灯のようにいろいろなことを考えました。
落ちてしばらくして意識があることに気が付き「わたし生きてる!」と、まさに九死に一生を得た出来事でした。
少しでも落ちる角度が違っていたら死んでいたかもしれません。
このことがきっかけで、
残りの人生は今ある命を使って「何かしなければならない」と直感的に思い、誰かのお役に立てるように生きようと決めました。
ここから人生の模索が始まりました。
私にとってこの出来事は自分の存在価値を見出すための希望の光となりました。
自分の使命を模索し続ける30代
それから私の使命はなにかを探す長い模索が始まりました。
階段から落ち大怪我をして救急車に運ばれ、患者さんの立場になった時の不安や恐怖といった気持ちを経験し、「患者さんに寄り添い、少しでも安心できるように関わりたい。」と考え、医療に携わることを決めました。
何の資格もなく医療とは縁遠い生活をしてきた自分に何ができるのか分からず、とりあえず病院に飛び込み医療事務の資格を取得しクリニックでの受付として患者さんと関わりました。
病院の受付で患者さんに関わって問診を行う中で「もっと患者さんのそばで寄り添った関わりがしたい。」と考えるようになり介護の勉強をして看護助手となりました。
やる気さえあれば年齢なんて関係ない!! 看護師を目指した40代
「看護師になりたい。」と考えた頃にはもう30代後半。
この年齢から看護師になんてなれるのだろうか。そう諦めそうになりながらも模索し続けました。
そんな暗闇のトンネルから抜け出せない時にふと、私が救急車で運ばれた病院の看護部長さんに電話したのでした。
そこで看護師になりたいが年齢のこともありどうすればいいか相談を持ちかけたのです。
なんて言われるのか内心恐怖でもありました。
看護部長さんの答えは「年齢なんて関係ないわよ。やる気さえあれば何だってできる。頑張って!」でした。
まさかの背中を押してくれるような心強いエール。この言葉に支えられながら私は前を向くことができました。
そこからの私は猛勉強の日々。勉強からかなりの期間離れていたためとても苦労しましたが希望を持てたため頑張れました。
看護部長さんには本当に感謝しています。
うまくいかない日々、もう限界
看護師になるという希望を抱きながらも、家事、子育て、仕事、勉強と全てを完璧にこなそうとしますが完璧にできるはずがなく全てがうまく行きません。
相変わらず夫婦喧嘩は減らずストレスも限界に達し、頭痛や動悸が治らず過呼吸になることもありました。
「このままでは倒れるかもしれない、子供のためにも倒れるわけにはいかない。でももう限界かもしれない。」と感じるようになりました。
喧嘩になり夫の口からは「頼むから出て行ってくれよ。」の言葉。
私は夫にとってそんなに目障りな存在なのか、それを聞いて心の奥底から悲しみ、絶望といった心境になりました。
私はこれまで妻として母親として何もしてこなかったのか、やってもやっても喧嘩するたびに全否定され、文句言わせてたまるかと言わんばかりに家事も子育ても仕事も勉強も必死にやってきました。
でももう限界でした。
私は価値のない人間?
自分はそんなに価値のない人間なのか。
もうそう思うことも辛すぎるほどに私の心は疲弊しボロボロになっていました。
それと同時に思春期だった息子たち、両親がいがみ合いギスギスした家庭の中でどんな気持ちで毎日を過ごしていたのか。
きっと私以上に居心地が悪く辛かったはずです。
特に次男が父親に反発するようになり父子のいざこざに発展しました。
子供たちの情緒も不安定になり、自分だけではなく子供も守らなければと私は家を出る決意をしました。
その後、夫とは話し合いにはなりませんので専門の方に間に入っていただき離婚が成立しました。
モラハラ気質の夫と離れたことでいくらか精神は保たれましたが、離婚は夫婦だけではなく子供たちにとっても大きな出来事で、子供たちの心のケアは簡単ではありませんでした。
子育てに悩み苦しい日々、後悔
家を出てから再度勉強に打ち込み無事に看護学校へ入学し看護師になることができました。
一方、離婚前に情緒不安定になっていた次男ですが、離婚後にはバイクに乗るようになり心配事は増えるばかりでした。
そのうち徐々に家に帰ってっこなくなり、学校や警察から電話をいただくこともしばしば。
離婚してからは子供たちに何かあると「私のせいかもしれない」と頭の中は子供のことでいっぱいになり、次男が生まれてから大きくなるまでの子育てを思い出しては自分を責め続けていました。
「もっとこうしてあげればよかった。気にかけてあげればよかった。」
「愛情が充分に注げていなかったからだ」
など、とことん自分を責めました。
次男に対してだけではありません。
4人の子育てを通して厳しくしすぎてしまったことに対して後悔は尽きません。
「もっと微笑んでいればたくさんの笑顔で包んであげればよかった。」
そんなことばかりを考えていました。
悪循環に陥り抑うつ状態の看護師新人時代
看護師になってからもなかなかうまくいかないこともあり自信喪失していました。
「患者さんの心に寄り添う看護がしたい。」と看護師になりましたが、実際は目の前のことに必死すぎて、心に寄り添えている実感がありませんでした。
また、女性の職場特有の雰囲気がありどうしても誰かの悪口が耳に入ります。
職場でもストレスが強く、また子育ての後悔から塞ぎ込むことが多くなり何に対してもやる気が出ませんでした。
自分の欠点をグルグルと考え続け、悪循環に陥り心だけではなく体調にも影響が出て、頭重感や動悸など体調も優れない日々が続きました。
職場から家に帰ると部屋に篭るようになり、これからどうすればいいのか分からず、せっかく頑張ってなった看護師を続ける自信もなくしていました。
なぜ、この年から看護師を目指したのか、そんな初心の気持ちを完全に忘れ去っていました。
ホリスティック医学との出会い、蘇る希望
階段から転落し、今後の人生で自分に何ができるのか模索している頃、リフレクソロジーの先生に出会ったことを思い出しました。
先生は講座の中で
「その人の部分だけを見るのではなく、心も含めて丸ごと全部を見ましょう。」
と言っていました。
その時にホリスティック医学という概念を知り「これだ!」とワクワクしました。
その時の気持ちを思い出し、なぜこの年齢から看護師になろうと思ったのか、自分は何をやりたかったのか、どんな使命を全うしたかったのか、どんな自分になりたかったのか、思い出しました。
そして子供に対しても、「その子の見えている部分だけでなく、心も含め全体を見る。」視点を失っていたことに気がつきました。
「ここで終われない、私の人生これからだ!!」と前向きに考えることができるようになりました。
ホリスティック医学を思い出したことで、もう一度頑張ろうと思うことができました。
今までのネガティブ思考は潜在意識に刷り込まれた思い込みだった!!
そんなある日、インターネットあるセルフセラピーに目に止まりました。
そこには、自分のものの見方や捉え方、幼少期のトラウマ、刷り込まれた親の価値観、潜在意識(脳)の勝手な思い込みにより、自分自身が苦しい生き方を選択し生きていたのだと気づくことができたのです。
また「人生とは辛いもの」「仕事は大変で当たり前」などそれらは、自分の行動の足かせとなる『ネガティブな潜在意識の思い込み』であると語られていました。
自分の今までの価値観はもしかしたら思い込みだったのかもしれないと思い、そう考えた時、
子供との関わりの中で、自分の価値観を押し付けていたことにも気がつきました。
次男がバイクに乗りたいといった時、私は自分の価値観で「危ないから」という理由で反対していたのです。
次男の反発は離婚だけが原因ではなく、親である私の価値観から次男自身の価値観で生きようと親から自立するための反発だったのです。
私はこれからどのように自分と向き合っていけばいいのか、そして『自分を変えたい』と本気で思ったのです。
ネガティブな潜在意識との戦い
ここから私の心の勉強が始まりました。
潜在意識に刷り込まれたネガティブな思い込みを、ポジティブな思考にシフトチェンジするのは簡単なことではありません。
潜在意識は変化を嫌うため、変わろうとしている自分と裏腹に現状に引き戻そうとしてきます。
毎日のイメージセラピーやワークを行いますが、
新しい価値観や自分が変わることに対して不安や恐怖でチェンジしようとする自分に、自分がブレーキをかけるため戦いの日々でした。
自分の心に寄り添えた時に気がついた「無条件に愛されたかった」
しかしそこで、無理に変えようとせず、まずは自分の心に寄り添うことをしました。
自分の中の奥底に親や夫から「どんな自分でも無条件に愛されたかった」気持ちに気がついたのです。
また反対に、愛は与えるものということ、
そして『自分自身に愛を与えてこなかった』ことが一番の問題であると気がつきました。
自分が自分を愛せていないのに、誰かに無条件に愛されたいと思うなんて典型的な他人軸でした。
誰かに何かを求めるのではなく本当の答えは自分の中にある。
『自分は本当は一番自分に愛されたかったんだ』と思いました。
なかなか強敵な私の潜在意識でしたが、さまざまな気づきの中で
「本気で変わりたい」「毎日を明るい気持ちで幸せに過ごしたい」と懸命にワークを行いました。
潜在意識をポジティブな思い込みにチェンジ
ワークのおかげで時間はかかりましたが、「生きるのって大変」「自分が嫌い」と思っていた「ネガティブな思い込み」は、ありのままの自分を受け入れ愛するようになった今では「私の人生はこれからずっとハッピー」とポジティブな思い込みにチェンジすることができました。
自分はいまどんな気持ちか何を思っているのか一つひとつの自分の感情を大切にするようになりました。
今では周りの感情に流されたり振り回されることも少なくなり、
第一に自分を愛し、信じることができるようになりました。
自分が本当に望んでいた人生とは
セラピーやワーク行うことによって、自分を俯瞰して見れるようになり、本当は自分はどんな結婚生活を望んでいたか、どんな子育てをしたかったのか、そしてどんな自分で在りたかったのかが見えてきたのです。
本当は夫と仲良く喧嘩のない穏やかな時間を過ごしたかった。
自分の意見や気持ちを素直に伝え合える中になりたかった。
大切な我が子たちに、いつも穏やかで優しい笑顔を向けていたかった。
4人の子供にいつも「大好きだよ。」と伝えたかった。
そして、自分にも「私は私が大好きだよ。」と思える自分になりたかった。
今では過去の後悔よりも「これからはできる」と自信を持って言えるようになりました。
感謝すべきことが目の前にあったことの 「気づき」
気づきもありました。
看護学校へ行ってる時、まだ幼かった娘が私のいない隙に、部屋の机に「ママいつもありがとう。お勉強がんばってね!」と毎日のように手紙でエールを送ってくれていたことが思いだされました。
それに4人の子供を連れて実家に帰った時に、あんなに厳しかった母が受け入れてくれたことにも感謝すべきことでした。
そして、母が常識や礼儀を厳しくありながらも必死で教えてくれたおかげで、今の自分があると思うこともできました。
私は辛いことや悪い部分に焦点を当てすぎて、当たり前のことが有難いことや家族の愛に目を向けられていなかったのです。
感謝すべき環境に自分がいることに気がつきハッとしました。
今では辛かった経験は宝物
モラハラ気質の夫と結婚したことも、常に他人軸で自分に自信がなかったため、何を言っても大丈夫だと思わせていたのかもしれません。
しかし、何を言ってもいいなんてことは絶対にありません。どんな人にも心があるのですから。
それに、自分が悪くてそうなったとも思っていません。なぜなら、自分を責めても意味がないからです。
自分を責めるエネルギーを感謝に変えたら、どんな出来事にも意味があり、私はたくさんの人生の勉強をさせてもらったんだと思えるようになりました。
辛かった経験は今では私の宝物となっています。
また、相手の感情に敏感な性質や、左右されやすく疲れやすいなどのことから、
自分はHSP気質であるということにも気がつくことができました。
ネガティブ思考を手放し自分を愛せるようになれた
今まではダメなところにしか目を向けていなかったため自分が大嫌いでどうしても好きになれなかった自分。
さまざまなセルフセラピーをしたり心の仕組みや、幸せな心のあり方について勉強する中で
『自愛の大切さ』を学ぶことができました。
そして「どんな自分でもOK!」と許し、受け入れられるようになり、以前と比べて
癒されながら楽に生きられるようになりました。
看護師になったことも、今の病院で働けること、患者さん一人一人との出会いに心から感謝できるようになりました。
また、他人の感情を感じすぎないように、心の中で一線を引くようになってから不思議と悪口が耳に入ってくることがなくなりました。
そして、HSPの気質であると知れたことで、自分の性質を理解できたため人の感情を感じ取っても「相手の感情は相手のもの。」と割り切ることができ自分を責めることもしなくなりました。
失敗したりうまくいかない時こそ「完璧じゃない自分でよいよい、そんな自分も可愛いよ。」なんて言って、今では自分を励ましています。
カウンセラーへの道
私を負の悪循環から脱出させてくれたカウンセラーの先生、セラピーやイメージワークには本当に感謝しています。
そして心の仕組みがわかれば苦しみから必ず抜けられるんだということがわかりました。
私の人生はこれからも苦しいと思うようなことが起こるかもしれません。
その時に、もう以前の私のように悪循環な状態に陥らないと確信しています。
なぜなら、自分を責めるのではなく、自分を許し受け入れられるようになったからです。
この経験を通し、苦しんでいる方の心に寄り添い、少しでも早くその苦しみから抜けられるようサポートさせていただきたいとカウンセラーを目指すようになりました。
カウンセラー青空ゆりえの思い
悩みやストレスのない方はいないかもしれません。
人は何かしらに悩み苦しみ、ストレスを抱えるものだと考えています。
ですが、その出来事をどう捉えるかによってストレスの大きさや苦しみの度合いが大きく変わってくると考えています。
ネガティブに捉えれば悪循環に陥り、
ポジティブに捉えれば善循環に周ります。
しかし、長年の思考の癖や価値観は簡単に変えられるものではありません。
そこで、人間関係、夫婦関係、モラハラ、嫁姑、子育てなどでのお悩みによるストレス、抑うつ状態や、HSP気質で物事を敏感に感じ取ってしまい辛い方に向けカウンセリングを行なっています。
私は、いま苦しみの中にいる方の100%見方です。辛いと感じているあなたの心に寄り添い、
ネガティブなものの見方捉え方に気づき、ポジティブな捉え方に変換するワークや、過去の辛い記憶を癒し幸せな未来をイメージするワークを行い不安を安心に変えるお手伝いをします。
起きた出来事を少しでもプラスに転じ幸せを感じられる『幸せ脳』を育むカウンセリングを目指し、一人でも多くの方の心も体も健康に導くようなカウンセリングを行うよう、現在看護師兼カウンセラーとして日々精進しています。